解説 · 文:Cladius Dedeler · 6分で読める · 更新 2026年10月5日

日本人拉致問題と帰国事業

北朝鮮の人権侵害は、北朝鮮の中だけの話じゃない。日本にとっては特に二つの話がある。1970〜80年代に北朝鮮の工作員が日本人を連れ去った拉致問題と、1959年から9万人以上が日本から北朝鮮へ渡った帰国事業だ。どちらもまだ終わっていない。

17人日本政府が認定した拉致被害者男性8人、女性9人
5人2002年に帰国できた被害者2002年10月15日
93,340人帰国事業で北朝鮮へ渡った人1959〜1984年

拉致問題

1977年から1983年にかけて、北朝鮮の工作員が日本から日本人を連れ去った。政府が公式に認定しているのは17人だけど、実際には数百人いるかもしれないと推定されている。いちばん知られているのは横田めぐみさんで、1977年、13歳の中学生のときに連れ去られた。

  1. 日本人の拉致政府認定は17人(男性8人、女性9人)。それ以外にも多くの可能性が指摘されている。
  2. 横田めぐみさん、13歳で拉致北朝鮮は拉致を認めたが、本人は死亡したと主張している。家族は今も生きていると信じている。
  3. 日朝首脳会談小泉純一郎首相が訪朝し、金正日が拉致を認めた。
  4. 被害者5人が帰国DNA鑑定などで本人確認されたうえで日本へ。
  5. 家族も帰国5人の被害者とその家族、合わせて10人が北朝鮮から戻った。

北朝鮮は今も、拉致被害者は13人だけで、5人を返したことで問題は解決したと言っている。日本政府はそれを認めていない。残りの被害者の家族は年を取り続けていて、正直、時間がない。

帰国事業

1959年、在日朝鮮人の帰国事業が始まった。朝鮮総連が中心になって進め、北朝鮮は「地上の楽園」として宣伝された(住まいも仕事も医療も保障される、という話だった)。1984年に完全に止まるまでに、93,340人が日本から北朝鮮へ渡った。

その中には朝鮮人の配偶者についていった日本人も含まれていて、推定6,637人、そのうち1,828人は日本国籍を持ったままだった。いわゆる「日本人妻」たちだ。

行ってみると、楽園ではなかった。日本から来た人たちは「成分」(家族ごとの忠誠度ランク)で低く見られ、差別と貧しさの中で暮らした人が多い。政治犯収容所に送られた人もいる(収容所については北朝鮮の政治犯収容所に書いた)。

生きて戻ってきた人もいる。イシカワ・マサジ(Masaji Ishikawa)さんは1960年、13歳のときに家族と北朝鮮に渡り、1996年に鴨緑江を渡って脱出した。36年かかった。その体験は『A River in Darkness』という本になっている。

今できること

拉致問題は政府間の交渉になりがちで、個人にできることは少なく見える。でも関心が薄れると、交渉の優先順位も下がるんだと思う。家族会の発信をシェアする、議員に聞く、本を読む。それくらいでも意味はある。北朝鮮の人々全体を助ける方法は北朝鮮の人々を助ける方法にまとめた。

3行まとめ
  • 政府認定の拉致被害者は17人。2002年に帰国できたのは5人で、残りはまだ帰ってきていない。
  • 1959〜1984年の帰国事業で93,340人が「地上の楽園」へ渡り、多くは差別と貧困の中で暮らした。
  • どちらもまだ終わっていない。関心を持ち続けること自体に意味がある。

短い答え

日本政府が認定している拉致被害者は何人?
17人(男性8人、女性9人)。1977年から1983年にかけて拉致された。実際にはもっと多いと推定されている。
拉致被害者のうち何人が帰国した?
2002年9月17日の日朝首脳会談で金正日が拉致を認めたあと、5人が2002年10月15日に帰国した。2004年5月までに家族も含め10人が北朝鮮から戻った。
帰国事業で北朝鮮へ渡ったのは何人?
1959年から1984年までに93,340人。そのうち推定6,637人は朝鮮人の配偶者についていった日本人で、1,828人は日本国籍を持ったままだった。
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